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人間とウマ

人間によるウマ利用の歴史

はみ
はみ
戦闘馬車
戦闘馬車
あぶみ
あぶみ
くら
くら

Equus(エクウス:ウマ属)の学名で呼ばれるウマやロバの直接の先祖は、200万年前から100万年前にあらわれたと考えられている。ヒトは古い時代からウマを捕食し、あるいは毛皮を利用していたことが明らかにされており、旧石器時代に属するラスコー洞窟の壁画にウマの姿がみられる。純粋な野生のウマは、原産地の北アメリカを含め、人間の狩猟によりほとんど絶滅した。

紀元前4000年から3000年ごろ、すでにその4,000年ほど前に家畜化されていたヒツジ、ヤギ、ウシに続いて、ユーラシア大陸で生き残っていたウマ、ロバの家畜化が行われた。これは、ウマを人間が御すために使う手綱をウマの口でとめ、ウマに手綱を引く人間の意志を伝えるための道具であるはみがこの時代の遺物として発見されていることからわかっている。同じく紀元前3500年ごろ、メソポタミアで車が発明されたが、馬車が広く使われるようになるのは紀元前2000年ごろにスポークが発明されて車輪が軽く頑丈になり、馬車を疾走させることができるようになってからである。

馬車が普及を始めると、瞬く間に世界に広まり、地中海世界から黄河流域の中国まで広く使われるようになった。これらの地域に栄えた古代文明の都市国家群では、馬車は陸上輸送の要であるだけではなく、戦車として軍隊の主力となった。また、ウマの普及は、ウマを利用して耕作を行う馬耕という農法を生んだ。

一方、メソポタミアからみて北方の草原地帯ではウマに直接に騎乗する技術の改良が進められた。こうして紀元前1000年ごろ、広い草原地帯をヒツジ、ヤギなどの家畜とともに移動する遊牧という生活形態が、著しく効率化し、キンメリア人、スキタイ人などの騎馬遊牧民が黒海北岸の南ロシア草原で活動した。騎馬・遊牧という生活形態もまたたくまに広まり、東ヨーロッパからモンゴル高原に至るまでの農耕に適さない広い地域で行われるようになった。彼ら遊牧民は日常的にウマと接し、ウマに乗ることで高い騎乗技術を発明し、ウマの上から弓を射る騎射が発明されるに至って騎馬は戦車に勝るとも劣らない軍事力となった。遊牧民ではないが、紀元前8世紀にアッシリアは、騎射を行う弓騎兵を活用して世界帝国に発展した。中国では紀元前4世紀に北で遊牧民と境を接していた趙の武霊王が胡服騎射を採用し、騎馬の風習は定住農耕民の間にも広まっていった。さらに4世紀※の中国で騎乗者の足や腰を安定させるための鐙(あぶみ)や鞍(くら)が発明され、8世紀のヨーロッパで硬い土の上で長時間疾走させても蹄を痛めないようにするための蹄鉄が普及して、乗馬技術はより容易に習われるようになり、非遊牧民の間でも、西ヨーロッパの騎士や日本の武士のような騎兵を専門とする戦士階級が生まれた。

※注釈「4世紀の中国で鐙が発明された」という記述は誤りではないか。鐙が無ければ乗り手は踏ん張る事ができないため、騎乗による戦闘は極めて困難になる。この事は紀元前3世紀の始皇帝の兵馬俑の軍隊の配列が、戦車兵を主とし、鐙を履いていない騎兵(偵察・斥候が任務であったのではないかと考えられている)が少数となっている事からも明らかである(又、兵馬俑の騎兵は鞍を既に装着している)。しかし、3世紀の中国では三国志に登場する人物は騎乗による戦闘様式を採っている。これは正史である「魏書」の呂布伝の注釈にある「人中の呂布、馬中の赤兎」の記述や、「蜀書」関羽伝にある関羽が顔良を討ち取った下りから明白と言える事だ。つまり、3世紀には鐙は発明され、普及していなければ歴史的事実と符合し得ないのである。鐙の起源に関して詳しい事は不明だが、紀元前2世紀の中央アジアで用いられたものが始めとされる説もある。又、戦車兵の乗り手が3人に対して必要な馬は4頭であったり、車輪を用いるために山岳地帯など険しい地形を行軍出来ない事などから、戦車兵より騎兵の方が戦闘に適していると言う事も追記する


15世紀から16世紀に進んだ火薬・銃の普及による軍事革命は騎士階級の没落を進めたが、騎兵の重要性は失われず、また物資の運搬にもウマは依然として欠かせなかった。各国は軍馬に適したウマを育成するために競馬を振興し、競馬を通じて馬種の改良が進められた。20世紀に至り、2度の大戦を経て軍事革新が進んで軍馬の重要性は急速に失われていったが、軍隊、警察においては儀典の場で活躍している。さらに競馬・乗馬は娯楽、スポーツとして親しまれ、世界では現在も数多くの馬が飼育されている。また近年では、世界最小のウマであるアメリカンミニチュアホースを盲導犬のウマ版と言える亡導馬として使用する試みも始まっている。


日本の馬

日本の古書や伝承には馬にまつわる記述が早くからみられる。『日本書紀』にはアマテラスが岩戸に隠れたのはスサノオが斑駒の皮を剥いでアマテラスの機織小屋に投げ込み、機織女が驚いて死んだためであるとのくだりがある。『古事記』では、スサノオの息子であるオオクニヌシが出雲国からでかける際に鞍と鐙を装した馬に乗っていたと書かれ、「因幡の白兎」(「稻羽之素菟」)で有名な逸話のなかでオオクニヌシが素兎(素菟)に与える「がまの油」は馬の油であるとの説がある。 高千穂地方には、これより以前の神代の時代の神武天皇が龍石という馬に乗っていたとか、垂仁天皇の時代に野見宿禰が馬の埴輪を作ったとか、ヤマトタケルも東征に際して馬に乗っていたという伝承も存在する。

しかし、これらの神話や伝承は馬事文化の始まりを示す学問的な物証とは考えられていない。

考古学的には、縄文時代の貝塚から発見された馬の骨は、その後のフッ素年代法による研究で、鎌倉時代の馬を深い穴の中に埋葬した結果、貝塚の中から発見されたのではないかとする説が有力となっており、弥生時代以前に日本で馬産が行われた、あるいは馬の存在を裏付ける有力な証拠は発見されていない。

一方、3世紀前半から中期にかけての日本について記述した『魏志倭人伝』では倭国には牛・馬・虎・豹・羊・鵲はいないとの記述があり、これを信頼するならば当時の日本には馬が存在しなかったことになる。

考古学的に馬事文化の存在を示す国内最古の遺物は、箸墓古墳(3世紀中頃)の周壕から出土した木製輪鐙である。4世紀初めの土器と共に出土したため、このころに投棄されたと推定される。 しかし、この木製輪鐙だけが他の出土馬具に比べ出現時期が余りにも早いため、この時期に馬事文化が広く普及していたとは考えられない。稀少な存在として権威を示すために用いられたと考えられる。

『日本書紀』の記述によると、神功皇后の時代(4世紀後半)に大和朝廷が朝鮮半島を攻め(三韓征伐)、降伏した新羅王が自ら馬飼いになる事を申し出て、鞭や馬の手入れに使う刷毛や櫛の献上を誓ったとされる。この出来事が契機となり、大陸の馬産・育馬の技術が本格的に伝えられたとする説がある。

5世紀前半の応神天皇・仁徳天皇の陵墓の副葬品として馬具が出土しており、 5世紀中ごろになると馬型の埴輪が登場し、古墳の副葬品も鞍、轡、鐙などの馬具の出土も増えることから、日本でこの頃には馬事文化が確実に普及したと考えられる。

大化の改新(646年)による一連の制度の整備によって、駅馬・伝馬といった通信手段としての乗用馬が設立され、各地に馬牧も開かれた(ただし去勢の技術は導入されなかった)。当時律令制のモデルであった大陸の唐朝は、遊牧民出身の軍事集団が政権中核の貴族層を構成し、その軍事制度も遊牧民の軍制を色濃く継承していたため、律令制の導入は最先端の軍事技術としての馬文化の導入という性格も有していた。文献によれば、出雲国風土記ではこの頃、既に神格化された大国主に馬肉を奉納したと記されており、既に馬肉食の文化も存在していたことが伺えるが、大化の改新に際して馬肉食も禁止されている。また『日本書紀』天武天皇5年(675年)4月17日のいわゆる肉食禁止令で、4月1日から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜(ウシ・ウマ・イヌ・ニホンザル・ニワトリ)の肉食を禁止されている。

8世紀の文武天皇の時代には、関東に大規模な御料牧場が設けられ、年間200〜300頭規模の馬産が行なわれていた。これが明治時代の下総御料牧場の前身である。ただし牧場や馬産といっても、大陸の遊牧民、牧畜民によって発達し、現在も行なわれているような体系的なものではなく、大規模な敷地内に馬を半野生状態で放し飼いにして自由交配させ、よく育った馬を捕らえて献上するというやり方だった。この方法は、優れた馬ほど捕らえられ戦場に送り込まれることになり、劣った馬ほど牧場に残って子孫を残し、優れた馬ほど子孫を残しにくくなるため、現代の馬種改良とは正反対の方法だった。

平安時代には、いわゆる競馬が行われていたというはっきりとした記録があり、盛んに行われていた。「競馬式(こまくらべ)」、「きおい馬」、「くらべ馬」、「競馳馬」等と称して、単に馬を走らせて競う走馬、弓を射る騎射などが行なわれ、勝者と敗者の間では物品をやり取りする賭け行為も行われている。この競馬の起源は尚武(武術の研鑽)にあったと考えられるが、平安時代を通じてもっぱら娯楽へと変遷したと考えられる。一方、宮廷儀礼として様式化された「競馬」はやがて神社にも伝わり、祭礼としての競馬も営まれるようになった。このなかでは、賀茂別雷神社(上賀茂神社)で毎年五月に行われる賀茂競馬が有名である。賀茂競馬は古代から中世を通じて継続し、応仁の乱による荒廃の際でも万難を排して開催され、日本の馬事文化における極めて伝統的な行事として確固たる地位を築いている。

10世紀に武士が誕生すると、大鎧を着て長弓を操る武芸、いわゆる「弓馬の道」が正当な武士の家芸とされ、朝廷や国衙による軍事動因や治安活動は、この武士の騎馬弓射の戦闘力に依存するようになった。彼ら平安時代中葉から鎌倉時代にかけての武士の馬術への深い関心は、軍記物語に記された一ノ谷の戦いで馬に乗ったまま崖を駆け下りた源義経の鵯越え(ひよどりごえ、なお畠山重忠は馬を背おって下りたという)などの逸話によって多くの日本人によく知られている。馬事はふたたび武術としての性格をもちはじめ、武士のたしなみとして「競馬」、騎射、流鏑馬、犬追物などが盛んになり、やがて鎌倉競馬として厳格に体系化された。また、領主としての土着性が強かった初期の武士にとっては、馬が排出する馬糞は自己が経営する農地の肥料としても貴重なものであった。

この武士による競馬の伝統は中世を通じて維持され、政治史にあわせた盛衰はあるものの江戸時代中期まで続いた。特に徳川家康、徳川家光、徳川吉宗らは武芸としての馬事を推奨し、江戸の高田に馬術の稽古場をつくったり(高田馬場)、朝鮮や中国から馬術や馬を取り入れた。

一方、馬産に関しては、鎌倉時代・室町時代を通じて続く戦乱期には、優れた馬ほど武士に召し上げられて死ぬことにより、馬種の改良は進むというよりは、むしろ後退する有様だった。源義経の愛馬として名が残る青海波は体高が約140センチで大きな馬であったと伝えられるが、このサイズは現在のサラブレッドの平均的な体高である160〜170センチと比べるとかなり小型である。ただし、モンゴルのような内陸ユーラシアの遊牧民の優秀な軍馬が必ずしも大型馬ではなく、小型馬であることも多かったことも考慮する必要はある。室町後期、戦国時代になると、優秀な馬を大量に育成することが戦国武将の重要な関心事となる。下北の蠣崎氏は15世紀から代々モンゴル馬を輸入したといわれており、薩摩の島津貴久や、南部駒の産地を支配した伊達政宗は、ペルシャ種馬を導入して在来種の改良を行った。しかし、全体としての馬産の方法論は前時代のままであり、淘汰による体系的な品種改良という手法は導入されていない。江戸時代の征夷大将軍、徳川吉宗は長崎の出島の貿易でオランダ商人からアラビア種の馬を輸入し品種改良しようとした。

関東の御料牧場は、戦国時代に関東を制覇した北条氏政によって整備され、上総・下総の広い地域にまたがっていた。これを監督していた千葉氏は後に豊臣氏に滅ぼされて新領主である徳川氏の直轄地域(千葉野)となり、同氏が幕府を開いた江戸時代に入ると代官が設置されて最盛期には年間2000〜3000頭規模の馬産を行った。

ところで、江戸期の太平の時代になると、軍馬としての馬の需要は減り、一方で市民経済の発展に伴って荷馬に用いられるものが増えてきた。西洋とは異なり日本では馬車は発達せず、馬に直接荷を背負わせる方法が主流であったため、背丈の高い馬よりも、荷を乗せやすい背丈の低い馬が好まれた。また、農馬は田の耕作や馬糞を田畑への肥料とするため飼養された。このごろの馬の平均の体高は僅か130センチほどであり、現代の乗用馬の基準からいくとかなり小型であり、中には昔話に馬を背中にくくりつけ、かついで山を下りる話もあるくらい小さな農馬もいたらしい。

明治維新以降に軍馬の改良をすすめ日本在来馬の禁止など施策を計り、本格的な品種改良を伴う洋式競馬も創設された(詳しくは競馬の歴史 (日本)参照)。太平洋戦争後の経済復興期に日本国内の道路網の舗装が整備されて自動車が普及するまで、ウマは農耕、荷役、鉄道牽引などに用いる最もポピュラーな実用家畜であり、ピーク時には国内で農用馬だけで150万頭が飼育されていた。昭和20年(1945年)、連合国軍最高司令官総司令部指令により国による馬の施策、研究、団体の解散が実施された。終戦直後の昭和25年に飼育されていたウマは農用馬だけで100万頭を超すが、昭和40年代初頭には30万頭に、昭和50年には僅か42000頭まで減った。平成13年の統計では、国内で生産されるウマは約10万頭で、そのうち約6万頭が競走馬で、農用馬は18000頭にすぎない。

平成17年現在では日本在来馬は8種、約2000頭のみとなった。

昔から馬を大切にしていた地方では現代でも、馬は「蹴飛ばす」=「厄を蹴飛ばす縁起物」などと重宝しているところもある。


食用

ウマは歴史的に農耕や馬車の牽引、乗用に重用され、家畜の中でも生活の友、あるいは戦場において戦士の命を預ける戦友としてきたために、食のタブー的に肉食に供することに抵抗の少ない文化を持つ地域、個人と、食肉とすることを激しく嫌悪、抵抗感を持つ文化を持つ地域、個人が非常に対照的に見られる。これは狩猟の友などとしてやはり飼育者、使用者との友情を育むことが多いイヌを食用とすることの是非に関し、犬食文化に対して投げかけられる様々な感情や文化摩擦の問題と似た部分が多い。しかしながら馬肉は、日本でも400年以上も前から、一部の地方では重要な蛋白源として重用されてきたのもまた事実である。

日本において馬肉は、牛肉が高かった時代の増量材、ニューコンビーフに代表される加工食品等に使用されていた冷凍トリミング(主に南米産)、熊本県、長野県伊那地方、福島県会津地方、青森県南部地方などの郷土料理として供されることで知られている馬刺しや桜鍋用の生鮮肉(現在はほとんど北米産、若干欧州産)と用途も分かれている。現代では流通している馬肉のほとんどはカナダやアメリカからのものとされているが、廃用となった競走馬の一部も食用に回されている。こうした背景から、競馬・乗馬関係者を中心に、馬肉を食べることに対して抵抗感をもつ人も少なからず存在する。しかし最近では、「馬を知らずして勝てるわけがない。」とゲン担ぎに馬刺しを食べたり、「食べてみたらウマ勝った(旨かった)」「ウマく勝つ」などと、時代も軟化傾向にある模様。

欧米では、馬肉食に対してフランス人がさほど抵抗を示さず、国内での馬肉食もまれではなく、「仔牛のステーキ」が実は馬肉だったりすることもあるのに対し、イギリス人、アメリカ人の中には極めて強い不快感を示すことが多く、特にアメリカでは屠殺反対運動も激化、近いうちに禁止になる法案も用意されている模様。好意的な国はフランスだけでなく、イタリア・スイス・ベルギー・ルーマニアおよびカナダのフランス語圏であるケベック州などでも、食用の馬肉が生産され、消費されている。世界の馬産業に強いのはベルギー系である。また東アジアで馬肉食の習慣を持たない民族として、中国人・韓国人が挙げられる。

馬肉食に対しては賛否両論あることは確かだが、栄養価が高く食べても太りにくい肉として、低アレルギー食品として、食肉のチャンピオンとでも言える部分もある。特にフランスでは医者が病人に対して、馬肉の食事を勧めるほど実績と信頼を得ているのである。牛豚鶏などの畜種より、低カロリー、低脂肪、低コレステロール、低飽和脂肪酸、高たんぱく、高ミネラル(鉄分、カルシウム等)といった特性のほか、ビタミン(A・B12・E)、グリコーゲン、ペプチド、リノレン酸等も多く含まれ、女性や高齢者、疲れ気味の人々にも適した食材として注目されつつある。

  • 馬刺し(ばさし):生肉を薄くスライスし、ショウガ醤油で食べる。好みによりニンニクやたまねぎのスライスやたてがみ部分の脂(こうね脂)を添えて食べることもある。
  • タケノコ:大動脈。
  • 桜鍋(さくらなべ):薄切りにした肉を、ネギや焼き豆腐とともに味噌味で炒り煮する。
  • すき焼き
  • おたぐり:腸の煮込み。塩味。
  • なんこ鍋:腸の煮込み。味噌味。
  • 小春煮: かたまりのまま、醤油、酒、だし汁、しょうがで煮込み、スライスして食べる。
  • 桜節:ジャーキー
  • さいぼし
  • タルタルステーキ
  • たたき
  • ユッケ
  • 焼肉
  • さくら寿司(さくらにぎり、さくら炙り)
  • さくら納豆

乳用

モンゴルモンゴル高原の遊牧民の間ではウマは重要な乳用家畜の一つであり、馬乳は馬乳酒(アイラグ)などの乳製品の原料とされる。高原の遊牧民の間ではウマは重要な乳用家畜の一つであり、馬乳は馬乳酒(アイラグ)などの乳製品の原料とされる。

民間医療薬として

民間療法として、馬肉には解熱効果があるとされ、捻挫などの患部に湿布として使用される。女子柔道家の谷亮子が使用したことでも有名。また馬肉パックと称して美肌効果を期待する向きもある。また馬脂(馬油は商品名)は皮膚への塗布用のものが販売されている。人間に最も近い自然の油であるため、よく言われる効能は、大やけど、日焼け、虫刺され、しもやけ、しみ、しわ、白髪等に効果があるとのこと。


尾毛

太く長いので、ヴァイオリンや胡弓、ヴィオール、二胡など擦弦楽器の弓毛に用いられる。またモンゴルの馬頭琴など、騎馬民族の擦絃楽器では弓毛に加え、弦も本来馬尾毛である。この他、織物に使用することがある。


伝承・民話・神話

  • Category:架空の馬
  • スーホの白い馬(モンゴル民話)
  • 天津馳駒 (南アルプス甲斐駒ケ岳)
  • 名馬磨墨(するすみ)・池月(いけづき)伝説(日本各地)
  • ユニコーン
  • ペガサス(ギリシア神話)
  • ケンタウロス(ギリシア神話)
  • ケルピー(スコットランド神話)
  • ウッチャイヒシュラヴァス(インド神話)
  • スレイプニル(北欧神話)
  • ヨハネの黙示録の4人の馬乗り(新約聖書)
馬の登場する諺、故事成語、慣用句、四字熟語など

  • 寝牛起馬
  • 南船北馬
  • 駑馬十駕
  • 意馬心猿
  • 馬首人身
  • 寸馬豆人
  • 馬子にも衣装
  • 馬車馬のよう
  • 馬の背を分ける
  • 馬が合う
  • 馬を牛に乗り換える
  • 馬には乗ってみよ人には添うてみよ
  • 馬耳東風(馬の耳に念仏、馬に経文、馬の耳に風)
  • 馬を水辺に連れて行くことは出来るが水を飲ませることは出来ない
  • じゃじゃ馬(駻馬)
  • 名馬に癖(難)あり
  • 天高く馬肥ゆ
  • 老馬の智用うべし
  • 鞍掛け馬の稽古
  • 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ
  • 人を射るには先に馬を射よ
  • 肥馬の塵を望む
  • 焉馬の誤まり
  • 癖ある馬に乗りあり
  • 人間万事塞翁が馬
  • 尻馬に乗る
  • 生き馬の目を抜く
  • 犬馬の労
  • 牛は牛づれ馬は馬づれ 
  • 老いたる馬は路を忘れず 
  • 鹿を指して馬となす(馬鹿)
  • 痩せ馬の先走り(道急ぎ)
  • 瓢箪から駒(駒=馬)
  • 千里の駒
  • 隙過ぐる駒
  • 馬並み

楽曲

  • おうまはみんな(童謡、作詞:中山和子、アメリカ民謡)
  • おうま(童謡、作詞:林柳波、作曲:松島つね)
  • チャグチャグ馬コ(岩手県民謡)
  • シャンシャン馬道中唄(宮崎県民謡)
  • 愛馬進軍歌(戦時歌謡、久保井信夫作詞、新城正一作曲)
  • 草競馬(スティーブン・フォスター)
  • めんこい仔馬(作詞:サトウハチロー、作曲:仁木他喜雄)
  • 走れコウタロー(ソルティー・シュガー)
  • 奔馳在千里草原 (中国二胡曲)

映画

  • 『緑園の天使』National Velvet(1945年 アメリカ 監督:クラレンス・ブラウン、主演:エリザベス・テイラー)
  • 『チャンピオンズ』Champions(1984年 イギリス・アメリカ 監督:ジョン・アービン、主演:ジョン・ハート)
  • 『優駿 ORACION』(1988年 日本、監督:杉田成道、主演:斉藤由貴)
  • 『ワイルドハート 彼女は空を翔けた』Wild Hearts Can't Be Broken(1991年 アメリカ 監督:スティーブ・マイナー、主演:G・アンウォー)
  • 『黒馬物語』Black Beauty(1994年 アメリカ 監督:キャロライン・トンプソン、主演:ドックスキーピンタイム)
  • 『モンタナの風に抱かれて』The Horse Whisperer(1998年 アメリカ 監督:ロバート・レッドフォード、主演:ロバート・レッドフォード)
  • 『シービスケット』Seabiscuit(2003年 アメリカ 監督:ゲイリー・ロス、主演:トビー・マグワイア)
  • 『オーシャン・オブ・ファイアー』Hidalgo(2004年 アメリカ 監督:ジョー・ジョンストン、主演:ヴィゴ・モーテンセン)
  • 『夢駆ける馬ドリーマー』Dreamer:Inspired by a True Story(2006年 アメリカ 監督:ジョン・ゲイティンズ、主演:カート・ラッセル)

TV

  • 『黒馬物語』Black Beauty(1972〜1973年、イギリス、原作: アンナ・シュウエル、NHKの少年ドラマシリーズで放映(1974〜1975年))
  • 『ファイト』(2005年、日本、NHK朝の連続テレビ小説。主人公が様々な逆境に遭いながらも馬との関わりを通じながら、自分や家族の幸せをつかむ成長の過程を描いたドラマ。)

ドキュメンタリー

「シービスケット あるアメリカ競走馬の伝説」(ローラ・ヒレンブランド)

小説

  • ジョン・スタインベック 『赤い子馬』
  • テォドール・シュトルム 『白馬の騎手』
  • 宮本輝 『優駿』新潮文庫
  • 樋口修吉 『アバターの島』
  • 吉岡平 『エクウス』

キャラクター

  • ゆうきまさみ『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』の登場馬
  • つの丸『みどりのマキバオー』の登場馬
  • ウマゴン(雷句誠『金色のガッシュ!!』)
  • カルディオ(雷句誠『金色のガッシュ!!』)
  • ノッコ(手塚治虫『W3』)
  • 騎士シグマ(『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』)
  • ホースオルフェノク(木場勇治)(『仮面ライダー555』)
  • よしだみほの描く、実在する競走馬をデフォルメしたイラスト・キャラクター(『馬なり1ハロン劇場』等)

その他

  • 雁屋哲/花咲アキラ 『美味しんぼ』第18巻「生肉勝負」
  • 雁屋哲/花咲アキラ 『美味しんぼ』第64巻「競馬で勝負」 
  • 『スーホの白い馬』馬頭琴の発祥とされる。



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〒480-0201 愛知県西春日井郡豊山町青山金剛230

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乗馬用語集

鐙(あぶみ) 乗り手が鞍(くら)に座ったときに、脚をかけるところ。
駈歩(かけあし) 速さは1分間に約330m
馬に乗っていると、1・2・3・1・2・3と3拍子の揺れを感じる。
3のときに人馬ともに宙に浮いた状態になる。
別名:キャンター(canter)
騎座(きざ) 鞍(くら)に座った姿勢の意味で、鞍と密着する腰、尻、大腿部(だいたいぶ)をさす。
脚(きゃく) 大腿(大腿)から膝(ひざ)、ふくらはぎ、踵(かかと)までをさし、
膝から下で馬の腹を圧迫させる脚の扶助(ふじょ)のこと。
隅角(ぐうかく) 馬場の四隅の角のこと。
鞍(くら) 馬の背に置いて、人が乗るための道具。鐙(あぶみ)や腹帯(はらおび)とセットで使用する
鞍数(くらすう) 馬に乗った回数のこと。
軽速歩(けいはやあし) 速歩のときに、乗り手が馬の2拍子のリズムにあわせて
立つ(鞍(くら)から腰を浮かせる)、座るの動作を行う乗り方。
襲歩(しゅうほ) 駈歩で全力疾走した状態。競馬でレース中に見せる走り方。
駈歩では、3本の足が地面についた状態があるのに対して、
襲歩では、多くて2本の足しか地面につかない。
別名:ギャロップ(gallop)
ゼッケン 馬体と鞍(くら)の間に置くクッション。
舌鼓(ぜっこ) 舌を「チッ、チッ、チッ」とならして、馬に注意を促す扶助のひとつ
手綱(たづな) 騎手が馬の運動を操作するために持つ綱。
蹄跡(ていせき) 馬場の柵から約1m内側の直線
蹄跡行進(ていせきこうしん) 馬場の4辺の柵に沿って、約1m内側のところを直進すること。
頭絡(とうらく) 銜(はみ)、手綱のついた複数の皮で構成された馬をコントロールする道具。
斜めに手前(てまえ)を変え 馬場の短辺の柵に沿って直進し、隅角を曲がったところから
斜対隅角のほうへ斜めに直進し、
蹄跡に戻って馬場を逆まわりに直進する運動。
常歩(なみあし) 速さは1分間に約110m。馬が普通に歩いているときの歩き方。
別名:ウォーク(walk)
拍車(はくしゃ) ブーツの踵(かかと)につける金具で、踵の先に突起がついている。
突起部分を馬のお腹に当てて、馬を動かす。
銜(はみ) 馬の口に加えさせて、騎手の手綱操作による合図を馬につたえるためのもの。
速歩(はやあし) 速さは1分間に約220m。馬に乗っていると、1・2・1・2と2拍子の揺れを感じる。
別名:トロット(trot)
腹帯(はらおび) 鞍(くら)を馬体に固定させるための帯(おび)
半巻乗り(はんまきのり) 柵沿いの直進から途中で輪をかき、輪の半分ほどで反対方向へ直進し
蹄跡(ていせき)に戻る運動。
扶助(ふじょ) 騎手の意思を馬に伝える合図。主な扶助として、拳、騎座(きざ)、脚(きゃく)
副扶助として、
拍車、鞭、舌鼓(ぜっこ)がある。
歩様(ほよう) 馬の歩き方。常歩、速歩、駈歩などに分類される。
巻乗り(まきのり) 柵沿いの直進の途中で直径10m程の輪をかいて直進に戻る運動。
無口頭絡(むくちとうらく) 馬を馬房から出すときに使用する道具。
         
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